「今日」から学ぶ。

「国連事務総長」を通して、国連を少し知る。 – 「9月18日」から学ぶ。

みなさんこんばんは。

本日、9月18日。
今年は366日ありますが、今日はその262日目。

そんな「9月18日」から、今日も少し学んでいきましょう。

9月18日に関係する問題(2題)

さて、まずは次の2問を考えてみましょう。中学受験の社会の問題に出てきそうな内容にしています。特に1問目は、2021年度入試にも出そうです。

現在の国連事務総長は誰?

では、第1問目。

【問題1】
 現在の国連事務総長は誰でしょう?

  1. トリグブ・リー
  2. ダグ・ハマーショルド
  3. コフィー・アナン
  4. 潘基文(パン・ギムン)
  5. アントニオ・グテーレス
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正解は、「5.アントニオ・グテーレス」です。

1と2を選んだ人は、たぶん勘でしょう(笑)

3と4を選んだ人は、情報の更新がちょっとできてませんでしたね。潘基文は2016年末で退任し、2017年1月1日から現在のアントニオ・グテーレスが国連事務総長です。コフィー・アナンは、潘基文のさらに1代前です。

ノーベル平和賞を受賞した国連事務総長は?

では、第2問目です。

【問題2】
 国連事務総長の中で、ノーベル平和賞を受賞しているのは誰でしょう?

  1. トリグブ・リー
  2. ダグ・ハマーショルド
  3. コフィー・アナン
  4. 潘基文(パン・ギムン)
  5. アントニオ・グテーレス
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これはなかなか難しいかもしれませんね。正解は、「2.ダグ・ハマーショルド」と「3.コフィー・アナン」です。

というわけで、今回取り上げるのは、ダグ・ハマーショルドについてです。

今日はハマーショルドの命日なんです。

ダグ・ハマーショルドとは?

ダグ・ハマーショルドはスウェーデン人の政治家で、第2代国連事務総長です。在任期間は、1953年~1961年。(後述しますが、在任期間中に亡くなっています。)

父は、スウェーデンの第15代首相ヤルマン・ハマーショルドです。(ちなみに今の首相はステファン・ロベーンです。第43代首相にあたります。)

ハマーショルドの政治家としての経歴は、ざっと書いただけでもだいぶ長くなります。こんな感じに。↓

スウェーデン政府の失業問題委員会の秘書官に始まり、財務次官、スウェーデン国立銀行総裁、パリ会議のスウェーデン代表、OEECのスウェーデン代表、外務次官、外務副大臣(役職的には無任所大臣)、国連総会のスウェーデン代表団団長と歴任し、1953年に国連事務総長に就任しました。

国連事務総長に就任したのは、ハマーショルドが47歳の時で、これは最年少の就任でした。国連総会において60票中57票がハマーショルドに投票され、圧倒的多数で選任されました。

ハマーショルドの功績

さて、そのハマーショルドが残した功績ですが、国際関係面で顕著です。代表的なものとしては、2つ挙げられます。「朝鮮戦争」と「スエズ戦争」における功績です。

朝鮮戦争におけるハマーショルドの功績

ハマーショルドの功績の1つ目は、朝鮮戦争におけるものでしょう。

朝鮮戦争は、朝鮮半島における韓国と北朝鮮の戦争です。1910年の韓国併合以来、朝鮮半島は日本に支配されていましたが、1945年に第二次世界大戦で日本が敗戦すると、日本の支配から解放されました。

そして朝鮮半島は北緯38度線を境にして、北側はソ連、南側はアメリカの占領下になりました。その後、南側に韓国、北側に北朝鮮が成立しました。

当時は冷戦、つまり資本主義諸国と社会主義諸国の対立が深まっており、朝鮮半島もその影響を大きく受け、朝鮮戦争が起きたわけです。

そして、その朝鮮戦争の過程で、国連軍のアメリカ兵士15人が中国共産党の捕虜になっていました。

そこでハマーショルドは、1955年に当時国連非加盟国だった中国を訪問します。そして国連軍のアメリカ兵士15人の釈放交渉に成功しました。

これが一つ目の大きな功績です。

スエズ戦争におけるハマーショルドの功績

そして2つ目の功績、それはスエズ戦争におけるものでしょう。

スエズ戦争は、エジプトによるスエズ運河の国有化政策をきっかけに起きた、イスラエルとエジプトの戦争です。イスラエル側にはイギリスとフランスもいました。第二次中東戦争、スエズ動乱、スエズ危機、シナイ作戦とも呼びます。

このスエズ戦争において、ハマーショルドは1956年にUNEF(第一次国連緊急軍)を組織し、この戦争の停戦調停に尽力したのです。(撤退を含めた完全な停戦は1957年。)

これが2つ目の功績であり、ハマーショルド最大の功績と言われています。

でも、3つ目の功績になるはずだったコンゴ動乱において、ハマーショルドは亡くなります。

ハマーショルドの最後

スエズ戦争の停戦から4年後の1960年、アフリカ中部にコンゴ共和国という国が誕生しました。ベルギーから独立してできた国です。(コンゴ共和国はその後、ザイールと改名したのち、現在のコンゴ民主共和国になりました。)

しかしコンゴ国内では、独立後に内乱が起こっていました。この内乱のことをコンゴ動乱と呼びます。

当時、コンゴのカタンガ州というところには銅やコバルトといった鉱山資源が多くありました。そこへの影響力を残したいと目論んでいたベルギーは、コンゴの政治家モイーズ・チョンべを扇動し、カタンガ州を独立させようとし、これによりコンゴ動乱は激化します。

このコンゴ動乱の鎮静化のため、ハマーショルドは1960年に4度コンゴを訪問します。

そして1961年、飛行機でコンゴ動乱の停戦調停に向かっていたところ、その飛行機は墜落。ハマーショルドは事故死しました。

映画「誰がハマーショルドを殺したか」

現職の国連事務総長の死というのはかなり衝撃で、当時は撃墜説や暗殺説の可能性も示唆されました。

ただ、当時は飛行機にブラックボックスが搭載されておらず事故の経緯が不明だったため、また事故調査でも被弾などが見られないと判断されたため、そういった説は一旦否定されました。

しかし2013年になり、潘基文が事故調査委員会を設置し、再調査が行われることになりました。そして2017年、調査報告書が公表され、外部からの攻撃によって墜落したことが示唆されました。

ちなみにこの事故を題材にしたドキュメンタリー映画が今公開されています。(下に映画の公式サイトのリンクを貼っておきますが、サイト内の動画の一部に衝撃的な映像が一瞬あるので、苦手な人は要注意。)

映画「誰がハマーショルドを殺したか

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勉強のために見てみてもいいかもしれませんね。

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では、今日はこのあたりで。

またお会いしましょう。