こんばんは。
本日、9月13日(日)。
今年は366日ありますが、今日はその257日目です。
「9月13日」という日から、今日も少し学んで、そして考えていきましょう。
9月13日は、スペイン帝国の王フェリペ2世の忌日。
今日9月13日は、今から約420年前の1598年にスペイン帝国の王フェリペ2世が亡くなった日です。
フェリペ2世とは、スペイン帝国(1492-1975年)の最盛期に君臨していた王です。絶対君主制(絶対主義/絶対王政)の代表的存在です。
絶対君主制とは?
絶対君主制とは、王が絶対的な権力をもつ国家形態のことです。
国家形態には分類の仕方がいくつかありますが、「その国の支配者(統治者)がだれか?」に着目した分類の中に、この「絶対君主制」があります。
では、他の国家形態にはどんなものがあるのでしょうか?ちょっと見てみましょう。
国家形態の分類 – 君主制と共和制
さて、国家形態は主に2つに分類されます。「君主制」と「共和制」です。この2つには以下のような違いがあります。
- 君主制:主権を一人の支配者(≒君主)がもつ国家形態
- 共和制:主権を人民(もしくはその大部分)がもつ国家形態
そしてこの君主制と共和制は、さらに以下のように細分化されます。
- 君主制
→絶対君主制:君主の権限に制限がなく、君主の自由。
→立憲君主制:君主の権限が憲法によって制限されている。 - 共和制
→大統領制 :人民が選んだ大統領に大きな権限がある。
→議院内閣制:人民が(間接的に)選んだ内閣に大きな権限がある。
→一党制 :憲法で規定された一党に大きな権限がある。
議院内閣制のところは「人民が選んだ内閣」と書いていますが、これは間接的に選んだ、という意味です。「人民が選んだ議員の信任によってできる内閣」と言ったほうが理解しやすいかもしれません。
また、一党制は社会主義国家のイメージです。憲法によって合法政党が1つしか存在できないケースなどです。現在では、ベトナム・ラオス・キューバがそうですね。かつてはソ連がそうでした。
日本は君主制?共和制?
さて、では日本は上記のどれに分類されるのでしょうか?
これは様々な学説があり、正直ちょっと難しいところですが、多くの書物には「立憲君主制」に分類されています。
日本国憲法があるので、「立憲」の部分は納得がいくでしょう。
でも、「君主制」のところに納得がいかない人が多いのではないでしょうか?
「誰が君主なの?日本は国民主権だから、君主はいなくて共和制じゃないの?」そんな疑問がわいてきます。
これ、日本は世界の中でも少しイレギュラーな解釈がなされていて、「日本にはいわゆる君主はいないけど、天皇が象徴的君主だよね。」と解釈されています。(象徴天皇制という。)
そして、いわゆる立憲君主制(狭義の立憲君主制)ではなく、広義の立憲君主制と解釈されています。(日本同様、スウェーデンもこの解釈がなされています。)
ただ、日本国憲法の中には、「立憲君主制」や「君主」に対する直接的な記述はありません。また、日本政府の公式の見解として「立憲君主制とみなしても差し支えない」というはっきりしない曖昧なものになっています。
そのため、学説上ではさまざまな議論がなされており、日本は共和国であるという学説も少なくありません。
「絶対主義は昔のヨーロッパの話」という価値観の古さ
さて、こんなふうに「支配者(もしくは主権者)」に着目して国家形態を見てみると、「昔は絶対主義なんて理不尽なものがあったのかー」なんて思ったりします。民主的ではない国家の在り方に、なんだかちょっと恐怖心を持ったりしますよね。
世界は、まだ完全な形には遠いとはいえ、どんどん民主的な方向に進んでいっています。着々と変わっていっています。
でも、僕らの価値観はなかなか変容していません。
たとえば、「社長はえらい」、「社長は目上の人」、「社長の言うことは絶対」。そういった感覚は、「絶対主義」的な価値観のなごりです。
僕らの社会は、ある一人の君主が持っていた時代から変わったとはいえ、その君主が持っていた権力が分散されただけの状況なんです。昔は、ある一人の君主が絶対的な権限を持っていたけど、その絶対的な権限が分散されて、ある会社の社長、ある団体の会長、などなど、「長」がつく人たちに絶対的な権限が分散され、それが今でもまだあると、僕らの価値観はどこかで認めてしまっているんです。
もし、逆になったら。
もし、「長」が絶対的な権限を持っているのではなく、前線で動いている人がもっとも偉大だという価値観に変わることができたら。
きっともっと社会はよくなるって、思いませんか?
おまけ。フェリペ2世を名前に因んだアジアの国。
ちなみに、先述のフェリペ2世の名前に因んで名づけられたアジアの国があります。さて、どこでしょう?
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正解は、「フィリピン」。
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フィリピンは今では一つの国となっていますが、かつてはそこに国はありませんでした。だって、フィリピンって島の数が7107もあるんです。その数の島々が、一つの国として連携するのはなかなか無理があります。
でも、そこに現れるのがフェリペ2世です。
当時のスペイン帝国は、今のフィリピンのある場所を、アジア進出の拠点として捉えていました。そして、植民地化しました。
植民地化した後、数多くの島々を統治するためにフェリペ2世が行ったのが、キリスト教教育です。フェリペ2世は熱心なカトリックでした。
同じ宗教を信仰する者同士に生まれる連帯感を、統治に利用したのです。そしてこのことによって、今の「フィリピン」という国家の原形ができあがりました。(そのため、現在もフィリピンの約90%がキリスト教徒で、その大半がカトリックです。)
そしてこの、フェリペ2世によって統治されたエリアを「フェリペの島々」と呼ぶようになりました。この言葉が変化して、今の「フィリピン」という名前になったんです。
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というわけで、今回はこのあたりで。
またお会いしましょう。